楽譜を見るときの目の使い方とは?
レッスンをしていて常々思うのは、「目の使い方」「ものの見かた」が演奏に著しく影響を及ぼしているんだなぁということ。
目の使い方を変えるだけで、発音がうまくいったり、響きが改善したり、緊張が緩和したり…。その方が持っている課題のいくつかが一気に改善に向かったりすることも珍しいことではありません。
今日はそんな「目の使い方」について。
疲れ目と偏頭痛の日々
私はド近眼なのですが、中高生の時はメガネをかけることに抵抗があったため、楽譜や、少し遠くのものを見るときに
「目を細めて、あるいは大きく見開いて、少し頭を前方に突き出す」
と言う動きが習慣になっていました。
そのせいか目がとても疲れやすく、また度々起こる激しい偏頭痛に悩まされていました。その偏頭痛にもいろいろ種類がありましたが、目の奥の方がズーーンと重く感じ、やがて痛みが広がっていくような場合と、ピカピカする光がだんだん広がっていって(閃輝暗点、というらしい)、やがて起き上がれないような激しい痛みに変化する場合など…。いずれの場合の頭痛も「目」と大きく関わっていたような気がします。
10代から頭痛薬が手離せない日々。
長い間「これは体質だから」と思い込んでいました。
しかし、アレクサンダー・テクニークを学んでいく間の中で、なぜか頭痛薬が必要になることがどんどん減っていき、今ではほとんど…というか、全く飲むことがなくなりました。
これはやはり私の「目の使い方」の習慣が、大きく影響していたものと思われます。
楽譜のまわりに見えるもの
「音を間違えないようにしっかり楽譜を見なきゃ」
「ずれないようにしっかりと指揮棒を見なきゃ」
視力が弱いことで、この「しっかり見なければ」という思いが強かったのかもしれませんが、この「見る」という大仕事を、私はことさら「目」そのものだけにさせようとしていたようです。
目はそもそも「窓」のようなものであり、光が通り抜けるだけのもの…いわゆるカメラのレンズのようなものです。
そして目は、「音符だけ」「指揮棒だけ」のように「一つのものだけ」を切り取って映すという機能は持っていません。「見たいもの」に目を向けさえすれば「見える」ものであり、またその周りにあるもの、視界の範囲に入るもの全てが同時に「見える」ものでもあります。
例えば楽譜を見たいとすると、その楽譜のまわりにあるもの、あるいは楽譜の向こうにあるものも、視界に入る範囲のものなら必ず同時に「見えている」ものですね。焦点は合っていないとしても。
今このメールを見ているスマホのまわりも、あるいはパソコンのまわりも、同時に見えていることと思います。
私は「音符だけ」「指揮棒だけ」のように、何か一つのものを「凝視する」というような見かたを習慣的にしていたようです。そしてその動きは「間違えないように」「タイミングがずれないように」「音を外さないように」という思いが強ければ強いほど顕著に現れていたと思います。
「楽譜をしっかり見たい」そんな時ほど、
「目は窓であり、光が通り抜けるだけのもの」そして
「見たいもの(楽譜)の全体」そして「そのまわりにあるもの」も音符とともに「見えている」と思って見てみてください。
ものを見る場所、視覚野
さて、その目から入ってきたもの(映像)を情報として処理するところはどこでしょう?
それは脳の「視覚野」と呼ばれるところで、主に後頭部あたりにあります。
視覚野の仕組みについては現在も研究されているところでもありますので、本当に詳しいことはまだよく分かっていないのですが、まずこの後頭部あたりに映像が届き、再び次々に前方に送られながら複雑に情報処理を行なうそうです。すごい。
少しご自分の後頭部あたりを撫でてみてください…そして今目に映っているものが、実はこの後頭部あたりで処理されている(見ている)のだと思ってみてください。
…何か変化はありましたか?
目のまわりの筋肉が少し緩んだ方もいらっしゃるかもしれません。
さて、これまでのことを踏まえておさらいです!
「楽譜がしっかり見たい」そんな時ほど
・自分の頭の場所と、背骨の長さを思い出し、
・目は窓であり、光が通り抜けるだけのもので、
・「見たいもの(楽譜)の全体」そして「そのまわりにあるもの」も音符とともに「見えて」いて
・それらは今、後頭部あたりで処理されている(見ている)
それにより、どんな変化があるか。
ぜひお試しくださいね。
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