教師の使命とは何か。
「生徒さんの前で吹くの嫌なんですよね…。こんなのお手本にならないんじゃないかと。それで、レッスンの後はいつも疲れきってしまって…。」
音楽教室で講師を務める管楽器奏者の方がレッスンにいらっしゃり、ポツリとそんなことをつぶやかれました。
・・・私は自分が”生徒”であるときのことを思い出すと、先生が目の前で演奏してくださることは何よりも大きな学びになりましたし、生徒の特権というかレッスンのご褒美というか、とにかくとても嬉しい時間でした。『少しも聞き逃すまい!』と耳をダンボにしていたことを思い出します(笑)。
そして”教師”の立場になってからは……確かに、この方のお気持ちも分かるのです…。(だいたい初見に近くなりますしね(笑)…)
「教える」と言っても様々なシチュエーションがありますが、こういった音楽レッスンでの「教師の役割」とは一体どのようなものでしょうか。
今回は「教師の使命」について考えてみました。
“正しいお手本”の提示?
生徒さんの前で演奏する、ということは教師としてとても大切なことの一つだと思います。
百の言葉よりほんの一音で伝えられることも多いものですね。
しかしそれは「正しいお手本の提示」では決してないと思っています。
それはこれまでの自分の経験、知識など授かり培ってきた膨大なもの全てから導かれた『あるひとつの選択肢』であるのだと思います。
そしてそれはあくまでもひとつの選択肢であり、生徒さん自身がそれを選ばないという自由も同時に存在するのです。
「ただ、あるひとつの選択肢として、自分というプレイヤーはこう演奏する。」
そこから何を受け取るかは、生徒さんの自由意思です。
私たち自身も、そうだったはずです。
“上達させる”ということ?
発表会やコンクールなどがある場合は、ある水準まで引き上げなければとか、何かしらの結果をとか、とにかく「上達させなければ!」と思うものです。
しかしここで「何とかしてあげなくては」と思えば思うほど、動きも視野も、そして聴覚も狭くなるものです。
ここで再確認しておきたいのは、あくまでも私たち教師が生徒さんを「上達させる」のでなく、生徒さん自身が自分の意志で「上達する」ものであるということです。
これは責任転嫁とか、責任の放棄ということではありません。
もちろん、教師は生徒さんに上達してもらいたい。そのために試行錯誤を繰り返していきます。
レッスン中は、そうして生徒さんのために全身全霊を傾けるわけですが、その「全身全霊」をどうやるかは、いつも冷静に考えていたいものです。
繰り返しになりますが、我々が「上達させる」のでなく、生徒さんが「上達する」ために。
教師に出来ることとは。
アレクサンダー・テクニークのレッスンの中で、教師はよく「鏡」に例えられます。
生徒さんがどうやっているか、どうしてそうやっているかを映す「鏡」の役割であるということです。
これは教える上での全てではありませんが、とても重要な要素だと思っています。
そして生徒さんの「鏡」として生徒さんを観察する上で、先生自身がより”自由に動ける状態”であり続ける必要があります。そうすることで「この生徒さんにとって、いま役立つサポートとは何か」が自ずと浮き上がってくるものだと思います。
「何とかしなければ!」とのめり込む瞬間、身体の自由さは失われるでしょう。
また、自分が教師であるとき、どうしてもかつて自分が学んだ「あの先生」が自分に投影されるものです。濃密に学んだ個人レッスンなどでは特に。「自分もあのようでなければ…」と。
しかし「先生」である時も、等身大の「自分」でありたいもの。
等身大の自分が、全身全霊で動ける状態で、生徒さんの鏡となる。・・・こうして文章を綴りながら、自分にとっての「教師が出来ること」がまた鮮明になった気がしています。
毎日指導にあたる先生方の、教えるときの一助になれば幸いです。
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