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サックス奏者の友人から、こんな話を聞きました。

彼女がレッスンの合間にカフェでお茶をしていた時のこと。

高校生くらのい娘さんとお母様との会話が耳に入ってきたそうです。

母「ねー、〇〇ちゃんはピアノ習ってよかったと思ってる??私は今思えばピアノ習わせたの、お金の無駄だったなと思ってる。」

娘「えー?そうなのかな?習ったお陰で学校でピアニカもさらっと吹けたし楽譜読めるようになったし、楽しいから私は習って良かったって思ってるよ」

母「そこなんだよね。楽譜読めるのはいいんだけどね。でもピアノ習わせるくらいなら貯金しておけば良かったってお母さん会社の人とも……」

………

彼女はもうそれ以上聞きたくなくなり、お店を出てきてしまったそうです。

「私達の仕事っていったい何だろうね。。。」

 

数字という真実。

「ピアノを習わせたことは、お金の無駄だった。」
「ピアノを習わせるくらいなら、貯金しておけば良かった。」

彼女や私のように、音楽を学び、実際それを教えたり演奏したりしている人にとって、このお母さまのたいへん率直なお言葉は、かなりショッキングなものではあります…。(いや、ショックのあまりちょっと震えてしまう(笑)。)

…でも確かに、小さな頃からピアノを始めとした楽器を学んだ人々の中で、実際に音楽そのものを職業にした人の割合は確実に少ないでしょう。

そういった観点から考えれば、

・楽器代
・楽譜代
・毎月のレッスン代×習った年数分
・レッスンにともなう交通費
・発表会などに出演する際に発生する衣装代など諸経費
・レッスンや練習に費やした時間


確かにお金だけでなく、たくさんのものを費やしたことになります。

これだけのものを費やして、実際に”目に見えるものとして”その子のためになっていないという解釈になったのなら、

「無駄だった」「貯金したほうが良かった」あるいはまた「ピアノよりも、もっと費用対効果の高いものに…」という結論に至ったとしても、それも自然な、あるひとつの尊い価値観です。

それにしても「数字」というのはあまりに明確なもので、そして私たちにとってとても刺激的なものです。

このような「金額」をはじめとして、順位、成績、点数、時間、気温や湿度、身長や体重、体脂肪率(!)…。

私たちは日々様々な数字に囲まれ、それらにとても敏感に反応していると思います。

繰り返しになりますが、数字とは残酷なほどクリアで、ウソのない”真実”だからなのでしょう。。

 

しなやかな軸。

しかしながら一方で、娘さん本人はこうおっしゃっています。

「習ったお陰で学校でピアニカもさらっと吹けたし楽譜読めるようになったし、楽しいから私は習って良かったって思ってる」

“楽しいから”。

私はこの言葉が、すべてを物語っていると思います。

彼女はピアノを学んだことで、
ピアニカがさらっと吹ける楽しさ、
楽譜が読める楽しさ、
「音楽する喜び」を、その人生の中で得ることができたのです。

ピアノを習わせたのがお母さまなら、それは彼女にとってかけがえのない贈り物だったのだと思います。

高校生くらいだと、まだお金の額や費やした時間という「数字」に対してリアリティがなく、こういった「音楽する喜び」のほうにより意識が向くのかもしれません。

しかし、お母さまにとっても、彼女の成長の時間の中で必ず、
「ピアノを習わせていて良かったな」と感じる瞬間がたくさんあったはずです。

でもそれはきっととてもささやかで、静かで、瞬間的で、ほんのりとしたものであり、「数字」の前ではかすんでしまうものだったのかもしれません。

人々の価値観がますます多様化していくこの世の中で、私たち教育や音楽に携わる人は

「教育とは何か」
「音楽とは人間にとって何か」

そんな自分自身の価値観の軸を、しっかりと、かつしなやかに構築し続けていく必要があるなぁと思った出来事でした。

 

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