自分の音楽を「歌う」ために〜身体を知ることがもたらすもの〜
「もっと歌って!って、いつも言われるんです。でも歌おうとすればするほどムダに力が入ってしまって…」
音楽大学でクラリネットを学ぶ生徒さんとのレッスンで。
『もっと歌って!』・・・
指導者としても、つい連発してしまいそうになる言葉です。
その”歌”が発露するためには学ぶべき大切な要素がたくさんあるものですが、このレッスンで起こった大きな変化を前にして、私は感動を覚えつつも、少し愕然としてしまいました。
動きと言葉から見えるもの。
最初に、現在取り組んでいるという曲の冒頭部分を聞かせていただきました。
とてもよく歌おうとしている…と思うのですが、少々オーバーアクション気味で(主に肩と腕、手首など)、ご本人がイメージしている”歌”が音としてはあまり表現されていないのかもしれないという印象を受けました。
「分かってるんです。”こうじゃない”っていうの。でもやればやるほど力んでしまうし、逆に自然にやろうと思うと棒吹きになってしまうし。」
“こうじゃない”
この言葉から、私は彼女がこのフレーズに対してきちんとしたイメージを持っていることを確信しました。
そしてその演奏時の動き…特に音を出す瞬間の動きから、「息を吐くこと」について誤解があるのかもしれないと推測しました。
息が歌になるために。
「音の出だしで息を吐き始める時、どんなことを考えてますか?」
私の質問に、彼女は少し戸惑いながらも
「んーー。楽器に息が入るように下向きに入れてます。」
ここで呼吸時に起こることについて、ゆっくりと説明する時間をとりました。
・肺にある空気はそこから上へ動き、やがて結果的に口から吐き出されること。
・口から吐き出された息の行方は私たちのコントロール外にあること。
・鎖骨や肩甲骨も含めた「腕」は肺を取り囲む肋骨のすぐ上にあるため、呼吸にも関連が深いこと。
・息を吐くときに、肋骨と骨盤の間をぐるっと取り囲む腹筋群と、股関節の間にある骨盤底筋群が大活躍してくれること
・・・・etc.
こちらもご参照ください。
二人で呼吸の動きについていろいろと再確認した後、もう一度演奏していただきました。
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それは、思わず息を飲んでしまうほどの変化でした。
彼女が、このフレーズに対してイメージしていた”歌”が、明確に発露された瞬間でした。
「……あ、あの…すみません…」
涙を拭きながら、彼女はこう続けました。
「こうやればいいんだと、こうコントロールできるんだと、やっと少し分かったような気がします。ちょっと混乱してますけど。。自分はセンスがないんだと思ってました。」
自分と肯定的に向き合うこと。
「中高生の時は、歌う場面になるととにかくもっと動くようにと、そうじゃないと歌ってるように見えないからと言われて、とにかく動く癖がついてしまって。音大に進んでからは、それが不自然だと思って変えようとしてたんですが、どうしたらいいのか完全に迷子でした。」
こんなことも話してくれました。
「自然に音楽的に歌う」には、前述したようにただ音楽を感じるということを超えて、楽典やその曲の様式、作曲の背景など、様々なことを総合的に学び経験し、センスを磨いていくことが必要ですが、そもそも音を紡ぎ出すのは奏者の身体に他なりません。
彼女には、様々な学びと経験によって、その曲を表現するにふさわしいイメージがしっかりと培われていました。
しかしそこに、体のメカニズムに対する知識をほんの少し補う、ただそれだけでそのイメージを自然に発露する可能性が高まったわけです。
・・・私は少し考え込んでしまいました。
自分もそうでしたが、音楽を学ぶ人が、もっと身体の構造を含めた「自分自身」について学ぶことが当たり前になれば。
センスがないから、体力がないから、実力がないからと自分をむやみに追い込むことなく、もっと自分の内面と肯定的に向き合うことができたら。
そんなことを、思わずにいられませんでした。