編曲作品に取り組むこと〜アンサンブル・レッスンから〜
ぎこちなさの正体。
先日、リサイタルを目前に控えた若い演奏家さんたちによるアンサンブル(Cl. Sax. Pf.)のレッスンをする機会がありました。
サックスを含む室内楽作品はとても限られるため、プログラムに取り上げる曲は必然的に他の楽器のために書かれた作品を編み直す(トランスクリプションを含む)ことが多くなります。(…そこがサックスの良いところでもあるのですが。)
その曲も、元々はクラリネットとピアノ、そしてヴィオラのために書かれた作品でした。
クラリネットとピアノはそのまま、ヴィオラのパートをアルトサックスで演奏します。
本番直前ということで、とてもよく練られた素晴らしい演奏だったのですが…3人の動きは終始ぎこちなく、アンサンブルにも固さが見られました。
私は、一度演奏を止めて尋ねてみました。
「今日はどう?どんなことを見ていきたい?」
サックス奏者さんが答えてくれました。
「なんだか、どうしたらいいのか分からなくなって…。どう考えたらいいのか…。」
『…とても好きな曲で、ぜひこのリサイタルで取り上げたかった。
でも、原曲を大切にしたい、聞いてくださる方々が持つ原曲のイメージを崩したくないという気持ちが強く、練習すればするほど、この音色でいいのか、音量が強すぎるのではないかと不安ばかりが募ってしまう。』
そんな想いを打ち明けてくれました。
クリアな意図を持ち、「今」に居続けること。
演奏者として、作品の内容とその作曲家のスタイルについて研究し、特に編曲作品の場合はオリジナルの楽器について学ぶことが必要なのは言うまでもありません。
しかしプレイヤーにとって大切なのは、
自分自身がこの作品にどれほどの愛情を持っているのか、
この作品の持つ魅力のどういうところを、聞いてくださる方にどう伝えたいのか。
そして自分の愛する楽器で最大限それを伝えるには、今この瞬間自分に何ができるのかを考え、選択し続けること。
また、聞いてくださる方がどう受け止めるかはこちらのコントロール外だけど、表現者として如何にクリアな意図を発信し続けるか。
対話の中で、そんなようなことをお伝えしました。
そしてその上で、自分の音だけでなく、聞こえてくるもの…共演者の音はもちろん、空間に鳴っている全ての音(空調の音とか、物音も全て)を受け入れながら、もう一度演奏して欲しいとお願いしました。
そして新しく動き始めるアンサンブル。
…その直後の演奏は、もう全く先程とは別のものでした。
不思議なことに、3人のハーモニーも、微妙なタイミングも、全てぴったりと噛み合っていく。
音も、響きも、表情や動きも、深く鮮やかに、しなやかになっていったのでした。
「あぁ、こんな風に吹いて欲しかった!来て欲しいとこに来てくれた感じ!」とクラリネット奏者さんが興奮しながら伝えると、
サックス奏者さんからの目から大粒の涙がこぼれ落ちるのでした。
ピアニストさんはそれを見てもらい泣きしそうになりながら「今すごい気持ちよかったーーー!」
この3人のアンサンブルが、あるところにたどり着いた瞬間だったように思いました。
さすがプロとして鍛錬してきた人たち。
同じ演奏者として心震わせながらも、…ちょっと嫉妬してしまいました(笑)
私自身、編曲作品を取り上げる際はいつも躊躇いがあります。
この日のレッスンは、私にとっても大切な学びになりました。
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