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アレクサンダー・テクニークの教師は、時々生徒さんに触れることで様々な動きのガイドをすることがあります。

それによって得られる体験が(人によっては)あまりに衝撃的なことが多々あり、

「先生が触ってくれたからできた」=「先生の助けがなければできない」

と思い込んでしまうこともしばしば起こります。(私もそうでした。)

しかし、決してそうではないのです。

動いたのは、生徒さんご自身の意思によるものだからです。

 

突然の涙。

先日、あるサックス奏者の生徒さんが初回のレッスンにいらっしゃいました。

アレクサンダー・テクニークのレッスンでは、教師がほんの少し手を使ってその方の本来の姿勢バランスを取り戻すお手伝いをするのですが、この時の生徒さんの反応は様々です。

「…………。」(←ひたすら無言)

「…すっごい前のめってません?」

「フワフワしますー。」

「立ってない感じ。」

「目線がいつもより高いです。」

「ええ?これでは楽器は吹けません!(笑)」

などなど。。

サックスの方だと、ほぼストラップの長さがいつもより変化します。

その方も、「あー、すごい違和感」とおっしゃいつつストラップの微調整をして、ある歌曲の一節を吹いてくださいました。

「…。あぁ、こんなふうに吹きたかったんです。」とおっしゃったかと思ったら。

…ポロポロと大粒の涙が頬をつたって行くのでした。

私はちょっとびっくりしつつ、ただその場に、生徒さんと一緒に佇んで、ゆっくり流れてゆく時間を味わっていました。

「すみません…。何で泣いてるのか、自分でもよく分からなくて。」

「うん。私も同じような経験が何度もありますよ。何でも、筋肉に溜まったいろんな物質が一気に流れ出すと、涙になって排出されるとか。ホルモンによる作用で、温泉効果があるらしいですよ。」

「あぁ、確かになんかスッキリしてます(笑)」

 

衝撃の再発見

後日のレッスンで、その時の涙の理由についてちょっと聞いてみました。

「今だに分からないんですけど…『自分にもこんな音が出せるんだ』という感動と…あと衝撃?みたいなものだったと思います。」

「…衝撃?」

「ショックでした。これまで、これも違う、こうでもない、といろんなことを長く試してきたのに、問題はそんな小さい部分のことじゃなくて、もっと大きなこと…根本的な、もっと全体的なことだったのかもしれないってことが、とても衝撃的で。」

—「部分でなく、全体」

私が自分のレッスンの中でとても大切にしていきたいと願っているもの。
こんなふうに伝わったのかと思うと、とても感慨深いものがありました。

手を使うと、どうしても「先生が何かほどこしてくれた」という解釈をされてしまいがちで、実はちょっと躊躇してしまうこともあります。

でも教師は単に、あるひとつの動きの提案をしているだけであって、実際にそれを選んで動いているのは生徒さんご自身です。

人を無理やり動かすことはできません。
心も、身体も。

動きはすべて、その人の選択によるもので、それによって得られるものも、その人自身の持っている力があってこそ。

私はこれからもそんなふうに、生徒さんの”新しい選択”に、ただ寄り添っていたいなと思う出来事でした。

 

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